歎異抄;教行信証 - 親鸞

教行信証

Add: qadipagy41 - Date: 2020-12-08 06:14:39 - Views: 6071 - Clicks: 3720

『教行信証』のタイトルには、「教行証文類」とあります。 「教行証(きょうぎょうしょう)」とは仏教の骨格です。 人間ならば、骨格があって、肉がついて皮がついています。 人間を形作っている基本が骨格です。 仏教を形作っている骨組みを、教行証といわれます。 仏教といっても天台宗とか真言宗とか色々の宗派がありますが、どの宗派でも共通しているのがこの骨格です。 もし教行証がなければ、それは仏教ではないということです。 仏教である限り共通しているのが教行証なのです。 親鸞聖人が教えられたことも仏教ですので、教行証があります。 その教行証を、お釈迦さまのお経を引かれたり、インド、中国、日本の高僧方のお言葉を引用されて明らかにされたので、「教行証文類」といわれるのです。 「文類」とはお言葉を集めたものということです。. 『親鸞 歎異抄 教行信証』(中央公論新社〈中公クラシックス i・ii〉、) 『親鸞全集』(全4巻・別巻、春秋社)、新装版、 『1・2 教行信証』. 『歎異抄』第三条のこのご法義は、浄土真宗の法義の奥義(おうぎ)の一つである悪人正機(悪人を救済の正しき対象とする)について述べられたものとしてことに珍重されてきました。 親鸞聖人のみ教えの特色といえば、 『教行信証』は親鸞聖人の主著で、全6巻に分かれています。 「更に親鸞、私なし」と私見を交えず真実の仏教を説かれたのが親鸞聖人ですが、『教行信証』もその内容のほとんどが経、論、釈からの引用であり、親鸞聖人がご自身の言葉で書かれた私釈の部分はわずかです。 朝晩の勤行で親しんでいる正信偈は『教行信証』の行巻の末尾に書かれてものを抜き出したもので、『教行信証』6巻の内容が収まっています。 ですから『正信偈』がすべて分かれば、『教行信証』がすべて分かるということになり、親鸞聖人の教えのすべてが分かることになります。 ではその『正信偈』にはどのようなことが教えられているのでしょうか。. 歎異抄 教行信証(教・行・信巻) 著者等紹介. 歎異抄/教行信証(1) - 親鸞 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!. では実際に、『歎異抄』の文章に触れてみましょう。 次の一節は、皆さんもどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。 日本の思想上、最も有名で、衝撃的な文章でしょう。 歴史や倫理の教科書にもよく紹介されています。 この教導は「悪人正機」といわれますが、これに触発されてか、日本文学に造詣の深いロシアの有名作家ボリス・アクーニン氏の名前(ペンネーム)の由来は、日本語の「悪人」だといいます。 テレビ朝日の人気ドラマ『相棒』の300回記念スペシャルが年1月、前・後編の拡大版として放映されました。そのサブタイトルは「いわんや悪人をや」。この言葉は『歎異抄』第3章冒頭の一節です。 など、心に残る名文は枚挙にいとまありません。. この一節には、すべての人の「生きる目的」が示されているのです。それを親鸞聖人は「摂取不捨の利益」と仰っています。 「摂取不捨の利益」の「摂取不捨」とは、「摂め取って捨てぬ」ことであり、「利益」とは「幸福」のことです。 「ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福」を、「摂取不捨の利益」といわれます。「絶対の幸福」といってもいいでしょう。.

歎異抄;教行信証 - 親鸞 「歎異抄」の本文自体は短いものなので、解説本や現代語訳の本を3冊読みましたが、とにかく、難解で深遠な書物です。 親鸞自身が書いた「教行信証」の解説本も1冊読んでみました。. 『教行信証』の内容は、哲学的にも非常に深く、日本を代表する哲学者たちにも大きな影響を与えています。 たとえば日本の三代哲学者の一人、田辺元(たなべはじめ)は、こう言います。 私は『教行信証』の宗教哲学をもって、西洋に匹儔(ひっちゅう)を見出だすこと困難なるごとき深さを持つものと思惟せざるを得ないのである。(懺悔道としての哲学) 「匹儔」とは相手のことですから、『教行信証』は西洋哲学に相手が見いだせないほど深いということです。 またこうも言います。 親鸞聖人の『教行信証』が私に与えた指導教化は、ほとんど計り知れないほど大きいものである。(懺悔道としての哲学) 晩年に浄土真宗に出会った田辺元は、『教行信証』を通して親鸞聖人に心から心服したのです。 また、日本の三代哲学者の一人、三木清(みききよし)も『教行信証』を読んでこう言っています。 『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である。(『親鸞』) 思索と体験が一体ということは、『教行信証』に書かれていることは、頭で考えだけではなく、実際に体験されたことを記されているということです。 では、その体験をどのように記されているのでしょうか?. (解答) 「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」で始まる『正信偈(しょうしんげ)』は多くの人に親しまれています。 浄土真宗の人にとっては、朝夕の勤行で拝読する最も身近な仏教の本です。 『正信偈』は、独立した書物ではなく、『教行信証』行巻(ぎょうかん)の最後に書かれている文章を抜き出されたものです。1行7文字、120行の偈(げ)になっています(1行14字と数えた場合は60行)。 840字の『正信偈』は、『教行信証』6巻の内容をギュッと絞ったエキスですから、浄土真宗の教えは「正信偈」におさまっているといえます。 つまり、『正信偈』が分かれば、聖人90年の教えはすべて分かるということです。.

親鸞の教えの特色は,法然の思想をさらに徹底させた絶対他力の信仰と,悪人正機説である。主著『教行信証』や,弟子唯円 (ゆいえん) が師の語録をまとめた『歎異抄 (たんにしよう) 』によって,その思想をうかがうことができる。. 浄土真宗とか親鸞聖人の教えというと、親鸞聖人が何か今までになかった教えを生み出されたように思いますが、そうではありません。親鸞聖人は常々こう言われていました。 更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。 (御文章) 「珍らしき法」とは、新しく作った教えのことです。 親鸞決して、新しい教えを広めているのではありません、と言われています。ではどんなことを教えられているのですか?と聞きますと、「如来の教法」といわれています。 「如来の教法」とは、釈迦如来の教えのことです。 釈迦如来とはお釈迦さまのことですから、お釈迦さまの説かれた仏教を、私も間違いないと知らされ、皆さんにもお伝えしているだけなんだよ、ということです。 ですから、親鸞聖人の教えをお釈迦さまの説かれた仏教と違うように思っている人がありますが、それは間違いです。親鸞聖人の教えはイコール釈迦の説かれた仏教です。 実際、親鸞聖人の主著の『教行信証』を見てみますと、そのことがよく分かります。 『教行信証』には、親鸞聖人の書かれた部分がほとんどなく、経論釈の引用が80%以上です。 「経論釈」とは、「経」はお釈迦さまの説かれたお経、「論」はインドの菩薩の書かれたお経の解説、「釈」は高僧の書かれたお経や論の解釈です。 『教行信証』は、自分の思いや、新しい教えを書かれた本ではありません。 まず親鸞聖人が命題を出され、経論釈の引用でそれを証明され、結論が述べられる、論文のような書物です。 ですから、普通は著者名が書かれる場所にも、親鸞「著」とか親鸞「作」ではなく、親鸞「集」と、集めるという字が使われています。 このように『教行信証』には、お釈迦さまのお経と、インド、中国、日本の高僧方の解説を縦横無尽に引用され、今まで誰も気づかなかった仏教の真髄が明らかにされているのです。. 一、『歎異抄』と『教行信証』 ① 西田幾多郎と「親鸞問題」 最初に確かめておきたいのは、西田において「親鸞問 題」とはいかなる問題であったか、という点である。 「親鸞問題」とは思想史家・子 こ 安やす 宣のぶ 邦くに の謂いであるが、. About Press Copyright Contact us Creators Advertise Developers Terms Privacy Policy & Safety How YouTube works Test new features Press Copyright Contact us Creators.

このように、他力の信を獲られたかどうかで、証が得られるかどうかが決まるということは、生きているときに他力の信心が得られたかどうかだけで救われるかどうか決まるということです。 これを「唯信独達(ゆいしんどくだつ)」といわれます。 「唯信独達」とは、信心一つで救われるということです。 これを蓮如上人は、聖人一流の章にこう言われています。 聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候。(御文章) 親鸞聖人の一生涯教えて行かれた最も大事なポイントは、他力の信心一つである、ということです。 この他力の信心を獲得したとき、人間に生まれてよかったという生命の大歓喜が起きて、絶対変わらない絶対の幸福に救われます。そして人間に生まれたのはこれ一つのためであったと本当の生きる意味がハッキリ知らされるのです。 他力の信心一つで本当の幸せに救われますので、親鸞聖人の教えは、唯信独達の法門と言われるのです。 自力の行で他力の信は獲られません。 だから他力の証も出てきません。 他力の行を頂いて他力の信となります。 他力の信だから、阿弥陀仏と同じさとりが得られるのです。 教行信証は、教も他力、行も他力、信も他力、証も他力です。 そこに自力はありません。 このように、他力の教行信証を明らかにされたのが、親鸞聖人の主著『教行信証』なのです。 本当の生きる意味という人類にとって最も大切なことが記されていますので、人類の根本聖典といえます。. 今回 親鸞聖人の「正信偈」を「歎異抄」を使って解説するというやり方を試みました。そうしたら、難しいはずの「歎異抄」が逆によくわかると. 親鸞聖人は、『教行信証』の「はじめに」にあたる「総序」に、『教行信証』を書かずにおれなかった喜びをこのように述べられています。 ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。 真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。 ここを以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。(教行信証総序) 「愚禿釈の親鸞」とは、親鸞聖人のことです。 「愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや」とは、親鸞は喜ばずにおれない、親鸞は幸せだった、ということです。 何が幸せだったのかは次にいわれています。 「西蕃・月氏の聖典」とはインドで記された仏教の本のことです。 「東夏・日域の師釈」とは中国、日本の高僧方の教えのことです。 これらのインド、中国、日本の高僧方が真実の仏教を伝えてくだされたことを喜ばずにおれない。 「遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」とは、毛頭あえない真実の仏教に今あえた、絶対に聞けない真実の仏教を今聞くことができた、この幸せ何にたとえられようか、ということです。 「真宗の教行証」とは、真実の仏教の教行証ということで、他力の教行証のことです。自力の教行証なら、自分のことですから、敬って信ずるという「敬信」とは言われません。 すべて阿弥陀仏から頂いたものだから、「敬信」してと言われているのです。 「特に如来の恩徳の深きことを知んぬ」とは、教も行も証もすべて阿弥陀仏がくださった、その深いご恩に涙せずにおれない、ということです。 このように、29歳で阿弥陀如来に救われ、絶対の幸福になられた親鸞聖人は、その喜びから、『教行信証』を書かずにはいられなかったのです。 親鸞聖人の映画を作った三國連太郎は、この総序のお言葉に感動して、こう言っています。 私が一番感動するのは、『教行信証』の冒頭の言葉です。 文芸評論家の亀井勝一郎は、こう言います。 『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている。 こうして親鸞聖人は、『教行信証』全体にわたって、絶対の幸福に救われた世界とその喜びの体験を記された後、最後に『教行信証』を書かれた目的を記されています。. (歎異抄) どんな善行もできぬ親鸞であるから、所詮、地獄の外に行き場がないのだ。 この告白は、ひとり聖人のみならず、古今東西万人の、偽らざる実相であることを、 『教行信証』や『歎異抄』には多く強く繰り返される。. この『 歎異抄 』の「 僧に非ず俗に非ず 」というのは、親鸞聖人の主著『 教行信証 』にも「 非僧非俗 」とあります。 「 僧 」とは僧侶のことです。 親鸞聖人というと僧侶だと思っている人が多くありますが、親鸞聖人ご自身は「.

Amazonで親鸞, 瑞麿, 石田の歎異抄・教行信証〈2〉 (中公クラシックス)。アマゾンならポイント還元本が多数。親鸞, 瑞麿, 石田作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 親鸞という人物は、やはり『教行信証』の方で見るべきで、 『歎異抄』というのは、親鸞の或る一面を、鋭く鮮明に伝えてはくれるが、 しかし、何か、まだ不充分なところがあるように思われる。. (解答) 親鸞聖人90年の教えは、すべて『教行信証』に書かれています。 親鸞聖人の主著ですから、浄土真宗の「根本聖典(こんぽんせいてん)」とか「御本典(ごほんでん)」といわれます。 教行信証は、教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土巻、化身土巻の6巻で構成されています。 教行信証の草稿は親鸞聖人52歳ごろの成立といわれますが、その後も常に手元に置かれ、生涯をかけて加筆修正された畢生(ひっせい)の大著(たいちょ)です。 今日、親鸞聖人といえば『歎異抄(たんにしょう)』を思い浮かべる人が少なくありませんが、『歎異抄』は著者不明で、親鸞聖人がじかに書かれたものではありません。 ですから、親鸞聖人の教えを正確に知るには『教行信証』を物差しとしています。 『教行信証』を一読してだれもが驚くのは、その引用文の多さです。 『教行信証』の正式名称は『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』です。最後に「文類(もんるい)」とありますが、「文類」とは経・論・釈の重要な文章を集めて整理したもののことです。 『教行信証』には「私釈(ししゃく)」といわれる親鸞聖人の作文は少なく、そのほとんどが経(きょう)、論(ろん)、釈(しゃく)からの引用です。 歎異抄;教行信証 経(きょう)とは、お釈迦さまの説かれたお経。 論(ろん)とは、インドの仏教の先生が書かれたもの。 釈(しゃく)とは、中国、日本の高僧方の書物。 それらの仏教の書物から要の文を集めたもの(=文類)が『教行信証』ということですから、『教行信証』はたくさんの経、論、釈の中から親鸞聖人が大事な文章を選ばれて、集められたものです。 「親鸞さらに私(わたくし)なし」が親鸞聖人の常の仰せでした。 いかに私見(自分の考え)を交えず、正確にお釈迦さまの真意を明らかにされたかがお分かりでしょう。. (解答) 今日仏教書の中で最も多くの人に読まれている有名な『歎異抄』は、親鸞聖人のお亡くなりになったあと、約30年たって成立したといわれています。 親鸞聖人が亡くなられてからしばらく経つと、親鸞聖人が教えられていないことを「これが親鸞聖人の教えだ」と言いふらすものが増えてきました。 それらの異説を歎いて書かれたのが歎異抄です。 著者はお弟子の唯円(ゆいねん)ともいわれますが、ハッキリしていません。 全18章のうち1章から10章までは、親鸞聖人がおっしゃったお言葉として書かれています。 それらの親鸞聖人のお言葉を物差しとして当時の異説を正そうとしたのが、11章から18章です。 たぐいまれなる名文ですが、親鸞聖人の教えをよく理解している人が読まないと大変な読み間違いをするところが多いため、蓮如上人(れんにょしょうにん)は「だれにでも読ませてはならない」と奥書に書き加えておられます。. 三木清から『歎異抄』へ 〜その真意は『教行信証』だった〜 「三木清から出遇った『歎異抄』。その正しい意味が分かったのは、高森顕徹先生の講演でした」 東京の研修会で発表された、s教授の『歎異抄』をめぐる心の旅は、法友の胸を熱くした。. 浄土真宗の宗祖親鸞聖人の主著『教行信証』。 この書を著した聖人の思想背景と、その方法論を深く尋ねた一冊。 浄土真宗・親鸞聖人に関する書籍なら 東本願寺「読みま専科 TOMOぶっく」 - 親鸞の主著 『教行信証』の世界.

ひとえに親鸞一人がためなりけり 『歎異抄』後序 この言葉は『歎異抄』の「後序」の中にある言葉です。 『歎異抄』は、宗祖親鸞聖人の門弟であり、聖人の晩年に直接教えを受けられた唯円の作とされているのが定説です。. . Amazonで親鸞, 瑞麿, 石田の歎異抄・教行信証〈1〉 (中公クラシックス)。アマゾンならポイント還元本が多数。親鸞, 瑞麿, 石田作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. . 親鸞の『教行信証』の内容はざっくり言うとどんな感じですか? 唯円の『歎異抄』に「人はみな等しく悪人(悪人正機説)」が書かれているけど、『教行信証』にはまた別のことが書かれているのでしょうか? 破闇満願で正定聚した人が、阿弥陀如来に御恩報謝して菩薩行を行っていく意味を. 他力本願を主張した親鸞の主著を読みやすい現代語訳で収録。 目次.

専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。. See full list on 1kara. (1)教行信証 上〈新装版〉 日本人の心を魅了する稀有の宗教者、親鸞。 その全貌を提示する本格的な原典対照の現代語訳全集。本巻では、 親鸞が心血を注いだ主著『教行信証』の、教巻、行巻、信巻を収録。. 『歎異抄』の宿業観 一十三章をめぐってー 「歎異抄」の宿業観 張 一 三 二 「歎異抄」は、親鸞白身の手で書かれたものではなく、親鸞に常につきしたがっていた弟 子唯円房が親鸞からじかに聞いたさまざまな話を書き記したものである。「歎異抄」は、親. 歎異抄/教行信証(2) - 親鸞 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!. この『歎異抄』の面白いのは、 分厚い『 教行信証 』では語られていない「宿業」の概念について、『 歎異抄 』では出てくる、という事です。 その「宿業」の概念は、第13条に出てきます。 原文の前半部分を、まず引用してみます。.

釈徹宗、大平光代『歎異抄はじめました : 親鸞聖人から届いたメッセージ』本願寺出版社、年。 isbn。 外部リンク. 浄土真宗の住職、門徒総代の皆さんが『歎異抄』を学ばれる上で、親鸞聖人の『教行信証』のお言葉で解説されている書籍がありましたので、ご紹介します。 『歎異抄をひらく』(1万年堂出版). (解答) 『教行信証』は、「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」のお言葉で終わっています。 親鸞聖人の、書いても書いても書き尽くせない喜びがあふれているのです。 文芸評論家の亀井勝一郎(かめいかついちろう)氏も、 と驚嘆しています。 そのほか『教行信証』を称賛する声は枚挙にいとまがありません。 親鸞聖人のお言葉には、大変な魅力、摩訶不思議な力がありますから、時代を超えて多くの人が『教行信証』に魅了されるのでしょう。 『教行信証』の冒頭の言葉は多くの人に知られています。 例えば「釣りバカ日誌」「マルサの女」「大病人」などの映画で活躍し、親鸞聖人の映画「白い道」では監督を行った故・三國連太郎氏はこう言っています。 その冒頭のお言葉が です。 この『難思の弘誓は難度の海を度する大船』の意味がわかれば、『教行信証』で親鸞聖人が伝えたかったことのすべてを理解することができます。 『難思の弘誓は難度の海を度する大船』の意味を解説した冊子のデータ(PDF)を、無料メール講座に登録された方にプレゼントしています。 → 無料メール講座のご案内. 親鸞聖人は、『教行信証』の最後、「後序」に『教行信証』を書かれた目的をこのように記されています。 慶しきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。 深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。 慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。 これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう。 唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず。 もしこの書を見聞せん者は、信順を因と為し、疑謗を縁と為し、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さん。(教行信証後序) 「慶しきかな」とは、親鸞は嬉しい、何と幸せ者だったのか、ということです。 「弘誓」とは阿弥陀如来の本願のことです。 「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」とは、阿弥陀如来の本願の通り、他力の信心を頂いて、絶対の不思議な幸福の世界に生かされたということです。 「深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ」とは、ますます阿弥陀如来の深い慈愛を知らされ、インド、中国、日本の正しい仏教の先生方の厚いご恩を仰がずにおれない、ということです。 「慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し」とは、いよいよ嬉しく、喜ばずにおれない、手の舞い足の踏み場もないほど、踊り上がって喜ばずにおれない、こんなことを教えてくだされた先生方のご恩に感謝せずにおれないということです。 「これによりて」とは、この喜びからです。 「真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう」とは、「真宗」も「浄土」も真実の仏教のことです。 「詮」も「要」も大事な所です。 「鈔し」とは抜き出して書くことです。 「ひろう」とは「摭う」という漢字を書きますが、拾い集めることです。 絶対の幸福に救い摂られた喜びから、真実の仏教の、大事なところを抜き出して、拾い集めたのが『教行信証』です。 『教行信証』は、仏教のエッセンスなのです。 しかし「大衆は常に間違う」と言われるように、迷いの深い私たちには、真実はなかなか受け入れられません。 あまりに常識破りなことが書いてあるので、きっと非難攻撃を受けるだろう。 だが「唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず」。 人から非難攻撃されることは辛いけれど、阿弥陀如来に絶対の幸福にして頂いたご恩返しができないほうがもっと辛い、阿弥陀如来のご恩を思えば問題にならないということです。ではどうすればご恩返しになるかというと、阿弥陀如来は、すべての人を本当の. 『歎異抄』と福音 第五回 『教行信証』と『キリスト教綱要』 掲載号: 年12月号 親鸞には『教行信証』という主著があり、これはキリスト教では組織神学にあたるものだ。. 昨夏、大谷大学真宗総合研究所編『『教行信証』の思想』 ⑶ に「巻 を読み込むことで親鸞研究を進めようという宣言である。が掲載された。唯円の目を通した『歎異抄』より、親鸞自身の著作頭論文」と銘打って、延塚知道「『歎異抄』から『教行信証.

See full list on xn--udsw7h21snjj. 公開講座 親鸞思想の解明 | 現代と親鸞の研究 | 英訳『教行信証』研究会 清沢満之研究会 | 「三宝としてのサンガ論」研究会 「正信念仏偈」研究会 | 源信『一乗要決』研究会 | 聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会. 親鸞シンラン 1173~1262。浄土真宗の開祖。9歳の春、出家。. 年の秋、NHKの『100分de名著』で、『歎異抄』がアンコール再放送され大きな反響を呼びました。 番組のホームページには、なぜ『歎異抄』を取り上げたのか、制作者がその動機をつづっています。 東日本大震災のように、一瞬で多くの人生を転換させた災害や、世界で多発するテロなどをきっかけに“生きる意味”を問う声が多く聞こえてきます。 番組では、『歎異抄』にその答えを求め、進行していました。 鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の肉声を伝えるこの書物には、私たちが、本当の幸せに生きる道が記されているからでしょう。 日本を代表する哲学者・西田幾多郎は空襲を目の当たりにして、「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったと伝えられています。 ベストセラー『声に出して読みたい日本語』シリーズの著者・齋藤孝さんは、このように書いています。 「金八先生」で知られる俳優・武田鉄矢さんが、年にTBS系列で放映されたドラマ・『白夜行』に出演した際、“この物語の悲劇のヒロインを救いうる宗教は世界にたった一つ、親鸞の浄土真宗だけだ”と感じ、自らの発案で、自身が演じる刑事のセリフに『歎異抄』の一節をちりばめ、大きな話題となりました。. ところが、ここで疑問が起きます。 「自力の教行証」なら、自分の行によって自分のさとり(証)を目指しますが、「他力の教行証」の場合、行が阿弥陀仏の行、証が阿弥陀仏のさとりとなると、自分がさとりを得ることができるのでしょうか? その点を親鸞聖人は、仏教の歴史上、最も鮮明に明らかにされています。. ところが、この『歎異抄』を室町時代の蓮如上人(れんにょしょうにん)は、自ら書写され、最後にこのような奥書(写本の最末尾に記した文章)を付けられました。 なぜ蓮如上人はこう書かれたのでしょう。 それは、第3章をはじめとして、『歎異抄』が非常に誤解されやすい書物であるからです。 俗に「カミソリ聖教」ともいわれています。 カミソリは、大人が使えば重宝でも、幼児が使えば危険な道具になるように、『歎異抄』には他力信心の極致が表現されているので、仏縁深い人が読めば、くめども尽きぬ法悦が味わえますが、親鸞聖人の教えをよく知らぬ人は、誤読の危険性が大きいから読ませないほうがいいと配慮され、封印されたのです。 それほど誤解しやすい『歎異抄』ですが、明治時代にある機縁で広く読まれるようになり、今に至ります。 全18章からなる『歎異抄』の1~10章までは親鸞聖人のお言葉を記し、11~18章は、親鸞聖人亡きあと、親鸞聖人の仰せと異なることを“これが親鸞聖人の教え”と言い触らす者を嘆いて、その誤りを正しています。 親鸞聖人の異説を嘆いた書という意味で『歎異抄』と名づけられたのです。 『歎異抄』について、詳しく知りたい方はこちらへ.

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